学生時代から思い描いていた産科クリニック開業を実現
大分大学医学部産科婦人科 学内講師/ひらかわ産婦人科医院 院長
平川 東望子 医師
学生時代に出産・子育てをした経験から、産婦人科が女性にとって大事な診療科であることを身をもって知り、「産婦人科医になり、診療所を開業する」と決意した女性医師。大学病院で研究に取り組む一方、産婦人科での臨床経験を積み、2020年11月に大分市内に産婦人科医院を開業した。子育てを続けながら、女性の困りごとにすべて耳を傾け、寄り添う産婦人科医を目指す。

- 大分大学医学部産科婦人科 学内講師
- ひらかわ産婦人科医院 院長
- 平川 東望子 医師(ひらかわ ともこ)
広島県広島市出身。2006年3月山口大学医学部卒業。大分市の大分岡病院で初期研修を受け、2008年4月に大分大学産科婦人科に入局。大学病院を中心に6年間の臨床経験を経て、2014年4月に同大大学院に進学。2017年に大学院を修了し、再び大分大学病院の臨床現場に戻る。2020年11月に「ひらかわ産婦人科医院」を開業。
2020年11月、JR大分駅から約10km東の住宅街に、臙脂色(えんじいろ)の壁が映える「ひらかわ産婦人科医院」が開業した。院長を務めるのは平川東望子先生。医学部時代に「産婦人科医になる」「産科クリニックを開業する」と決意、その後、産婦人科医として臨床経験を積みながら、研究にも取り組み、長年思い描いていた"夢"を実現させた。「悩みを抱える女性に寄り添っていく産婦人科を目指す」と平川先生は話す。
医学生時代に2人の子どもを出産。大学病院を中心に臨床の修業を積む
平川先生は最初から産婦人科医になろうと考えていたわけではない。広島で生まれ育ち、中高一貫の広島女学院中学高等学校に通い、理科系の科目が好きだったこともあり「何となく薬の勉強をしたいな」と考え、広島大学医学部総合薬学科(現・同大薬学部)に入学した。薬に関する研究は魅力的で、さらに勉強したいと考えた平川先生は、大学院に進むか、薬を一生使う仕事=医師になるかを検討した末、医師になる道を選んだ。
薬学部卒業後、1年間予備校に通い、山口大学医学部に入学、そこで夫と知り合い、結婚した。子どもについては卒業を待たず、学生時代に出産しようと2人の考えが一致し、長男を4年生の春休みに、次男を6年生のときに出産した。
山口大学には保育園があり、出産の時期が春休みなど休暇と重なっていたこと、さらに夫の協力もあり、留年せず2006年に卒業した。「2回の出産の経験を通して、産婦人科が、出産はもちろん、女性の健康を守り、病気の予防や治療に大切な診療科であることを実感した」という平川先生。卒業後は産婦人科医になろうと決意し、将来のクリニック開業を念頭に、毎日の講義に臨んだという。
卒後臨床研修は、「夫の両親が全面的にサポートしてくれると言ってくれた」ため、夫の出身地である大分市の大分岡病院で受けた。そして、2008年4月に大分大学産科婦人科に入局した。「そのころは、毎週のように子どものどちらかが発熱するという状況が続き、私も夫も、夫の両親も気が休まらない毎日を送っていた」と平川先生は振り返る。
大学院では子宮内膜症が研究テーマ。成果は海外の専門誌に掲載される
大分大学では、産婦人科病棟に勤務し、当初は周産期医療(お産)より婦人科腫瘍(子宮がんや卵巣がんなど)の診療を多く担当した。一方、大分市内では、産婦人科の病床が制限されていたこともあり、「有床の産婦人科クリニックの開業という目標は少し遠のいたかなという気持ちになった」(平川先生)という。
大学病院には長年勤務し、婦人科腫瘍のほか、周産期、生殖・内分泌(不妊治療や女性ホルモンの研究など)、女性医学(女性特有の病気の予防と治療)という、産科婦人科の全4領域の臨床経験を積んだ。その間に日本産科婦人科学会の産婦人科専門医、日本婦人科腫瘍学会の婦人科腫瘍専門医、日本生殖医学会の生殖医療専門医などの専門医資格を取得し、開業への下準備を着々と整えた。
2014年に大学院に進学し、子宮内膜症をテーマに研究に取り組んだ。平川先生は「研究、特に実験は苦手で、マウスの扱いに慣れるまでが一苦労だった」と話す。子宮内膜症は女性ホルモンが分泌される間は続くため、薬や手術による治療は未だに難しいとされる。平川先生の研究目標は、なぜ子宮内膜症の細胞が増殖するのかというメカニズムを解明することだった。最終的に、ある遺伝子の変異によって子宮内膜症の細胞が増殖を続けることを突き止め、研究結果は海外の専門誌に掲載され、平川先生は博士号を取得した。
2017年に博士課程を修了し、再び病院勤務を続ける一方で、平川先生は子宮内膜症の研究も続け、治療に結び付く可能性のある研究成果を挙げ、同様に海外の専門誌に論文が掲載された。平川先生は「臨床医として論文を毎年発表することは重要だと考えている。開業後も珍しい症例については症例報告として論文化していきたい」と話す。
閉院する診療所を承継し開業。すべての女性を応援する産婦人科医へ
2019年秋、大分市東部地区での産婦人科医療を担っていたクリニックが閉院することになったが、その診療所を承継(譲り受けて開業すること)しないか、という話が開業支援コンサルタント会社から持ち込まれた。それまでずっと開業する機会を窺っていたにもかかわらず、「いざ、そういう話が来ると迷った」と平川先生。プライベートの時間が減って子どもたちとのコミュニケーションが損なわれるのではないか、産科は事故があれば数億円の補償が求められるリスクもあるなど、不安があったからだという。臨床と研究を並行して実践できる大学病院の勤務に楽しさを感じてもいた。
しかし、夫が「あなたは臨床医に向いている。この機会を生かして開業した方がいい。お産も当然、やるべき」と強く背中を押してくれたことから「2〜3カ月で開業を決意した」(平川先生)。産婦人科教室の教授に開業することを報告したところ、「とても残念だが、開業後は大学も協力する」と快諾してくれ、「大学病院との良好な関係を続けていける」と平川先生は話す。
それからの1年は、大学病院での診療と研究、家庭では2人の子育てを続けながら、承継開業に向けての準備に忙しい日々を送った。新しいクリニックのテーマカラーは臙脂色にし、ロゴマークも作った。

「女性には、妊娠、不妊、月経異常、腫瘍、更年期障害、排尿障害など、さまざまな困りごとが生涯にわたって続く。悩みを抱える女性の話に耳を傾け、丁寧に診察し、寄り添っていく、そんな産婦人科を目指す」と平川先生は新しい環境での仕事を楽しみにしている。