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ホスピタルレポート-現役医師に密着- 第11回 血液・腫瘍内科医

遺伝子異常の解明を進める研究者と、患者とともに歩む血液内科を両立

福井大学医学部血液・腫瘍内科 講師
細野 奈穂子 医師

高校時代の仲の良い友人とともに医学部に進み、白血病などの血液の診療に携わる一方、遺伝子レベルで病気の原因の解明を進め、国際学会などで発表するなど研究者でもある女性医師。家庭では2児の母親として子育てに奮闘する。患者に寄り添う臨床医、最先端の研究に取り組む研究者の両立を図っている。

細野 奈穂子 医師
福井大学医学部血液・腫瘍内科
講師
細野 奈穂子(ほその なおこ)

福井県武生市(現・越前市)生まれ。1999年3月福井医科大学(現・福井大学)医学部卒業。同年5月に、同大附属病院第一内科入局。2001年、福井赤十字病院血液内科勤務。倉敷中央病院血液内科勤務後、2004年4月に福井大学大学院に進学。2012年、米国・クリーブランドクリニック留学。2015年に帰国、福井大学血液・腫瘍内科助手、2017年より現職。

2018年10月13日(土)、大阪市の大阪国際会議場で開催された、第80回日本血液学会学術集会で、大ホールの壇上に立ち、研究結果を英語で発表する細野奈穂子氏の姿があった。シンポジウム「Rising stars in JSH(血液学会の希望の星)」というセッションに選ばれた6人の演者の1人である。急性骨髄性白血病などの血液の病気に多く見られる染色体異常や遺伝子変異についての長年にわたる研究成果を「骨髄系腫瘍における疾患責任遺伝子の探索:染色体5番、7番の変異解析」と題して報告、会場からは多くの質問が英語で寄せられ、細野氏は一人ひとりにていねいに答えていった。

血液疾患の研究者として注目を集めた細野氏だが、医師になったときには、研究者の道に進むと決めていたわけではなかった。

高校時代の仲間と地元の医大へ。薬でがんを治す血液内科を選ぶ

細野氏は福井県武生市(現・越前市)の出身。地元の小学校、中学校、高校に通った。高校在学中は仲の良い男女10名ぐらいで、受験勉強と社会勉強の両立に取り組んでいた。成績は悪くなく、大学は漠然と理科系に進もうと思っていたという。「当時は、楽しい高校時代がずっと続くものと考え、皆で県内の大学に進学しようということになり、私と当時の交際相手は福井医科大学(現:福井大学)医学部に入学した。安直な理由で進学先を決めたわけだが、結果的に自分らしい道を歩むきっかけになった」と細野氏は振り返る。

やがて大学卒業後のことを考える時期になり、「臨床実習で手術を見学したときに、何時間も手術を続ける体力はないなと思い、内科へ進もうと決めた」。6年生になると、さまざまな医局が"勧誘会"を開く。細野氏は、順番通りに第一内科の勧誘会に参加し、その場で第一内科入局を決めた。「就職先という人生の決断を簡単に決めてしまった自分にびっくりするが、今は運命だったと思っている」と細野氏は笑う。

第一内科は循環器科、血液内科、消化器内科を主な領域としている。「循環器医として"カテガール"(カテーテルの検査や治療を得意とする女性医師)になるのもいいなあ、と考えた時期もあった。でも、私が心臓カテーテル検査を行なうために診察台を下げると、身長の高い男性医師が補助しづらいという現実問題があり、諦めた」という。

一方、血液内科の治療には医師の体格差は関係なく、「抗がん剤で白血病を治せることが驚きだった。それに、医師は治したい、患者さんは治りたいと思いが一致している。一緒に治療していく一体感が私に合っていると直感し」(細野氏)、血液内科に進もうと決心した。

大学院で研究の面白さに目覚める。米国で新しい遺伝子変異を次々発見

2年間の初期研修を終えた細野氏は、2001年4月から福井赤十字病院の血液内科に勤務し、2002年4月からは、倉敷中央病院(岡山県)の血液内科に2年間勤務、2004年4月に福井大学に戻り、大学院に進学した。同年8月に出産し、産休後から大学院で研究に取り組むことになった。研究テーマは急性白血病における薬物耐性のメカニズムの解明で、約20種類の抗がん剤を白血病細胞に与え、効果があるかどうかを調べるという内容だった。

研究が進むにつれ、分子生物学・分子遺伝学の面白さに惹かれた細野氏は、基礎医学の教室で遺伝子導入の基本などを学んだ。「学生時代のちょっといい加減な実験と全く異なり、正確なデータを得るために工程や機器などを厳密に管理・確認することを学び、ここで私の探求心が育った。例えば、白血病細胞が、ある抗がん剤で細胞死した場合、本当に抗がん剤による効果なのか、実験に使った試験管など素材の影響はないのかなど、細部にわたり検証することが必ず求められた。ここでの経験は、その後の私の研究や臨床に大きな影響を及ぼしている」と細野氏は話す。

大学院を修了後は、福井県立病院の腫瘍内科に2年間勤務した。しかし、研究を続けたいと考えていた細野氏は、その間に留学先を決めていた。そして、2012年から夫、子どもの3人で、米国・クリーブランドクリニックに渡った。クリーブランドクリニックでの研究テーマは骨髄異形成症候群(MDS)という血液の病気における新たな遺伝子変異を探すというもの。しかし「MDSに関連する"主役級"の遺伝子変異はほぼ出そろっていたので、"名脇役"の遺伝子変異を見つけることに力を入れた」という。次世代シーケンサーという装置を駆使して、新たな遺伝子変異を探索する日が続いた。

第2子の出産があったこともあり、約2年半で留学を終えたが、その間に6~7つの遺伝子変異を新たに突き止めた。2015年に帰国し、福井大学血液・腫瘍内科の教員として、MDSと急性骨髄性白血病の研究を続け、さらに多くの遺伝子変異を見つけることができた。それらの成果を論文にまとめ、それが評価されたことで日本血液学会のシンポジウムでの発表へとつながったのである。

研究も好き、人との関わりも好き。悪い知らせを患者に直接伝えられる医師に

「私は人と関わるのが好きで、今思えば、臨床医向きの性格だったといえる。こんな私が医学・医療の道に進むきっかけを作ってくれた高校時代の友人や交際相手だった彼には、今も感謝している」と細野氏。

血液疾患の患者の生存率は年々向上してきたが、それでも、これ以上治療をしても、治る見込みは少ないという悪い知らせを伝えなくてはならないこともある。悪い知らせは家族だけに、あるいは家族を通して本人に伝えてもらう、という病院もあるが、細野氏は「そのときは、この私が、直接患者さんに伝えたい。そして患者さんに寄り添い、一緒に泣いたり笑ったりしながら歩みたい」と話す。「この気持ちは、血液内科医としての覚悟が定まった証だと思う」とも。

一方で、どうしても治療がうまくいかない壁にぶつかるたびに、それを打ち破るような研究成果を出したいとも考えている。それは完治を目指す治療法とは限らない。「薬で治らないときには、白血病細胞と闘わず、共存し、折り合いをつけられるような治療があってもいいと考えている。特に血液内科には高齢の患者さんが多く、今後は新しい発想で治療を組み立てていく必要もある。私たちはそうした時代に立ち会っている」と細野氏。

家庭では2児の母という顔を持ち、大学では臨床医と研究者の2つの顔を持つ。「臨床医として患者さんのそばにずっといたい、でも患者さんのために研究も続けたい。葛藤があるが、両方に関わるのが私のスタイルだと確信している」と細野氏は前を向く。

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