ホスピタルレポート-現役医師に密着- 第9回 血液内科医

血液の病気を研究者の視点で診療し、臨床医の視点から研究を進める

埼玉医科大学総合医療センター 血液内科 助教
髙橋 康之 医師

小児科医を志して医師になり、卒業後は血液内科医として、白血病やリンパ腫、貧血など血液の病気の診療に取り組む若き医師。患者に寄り添う医師でありながら、治療が難しい血液疾患の研究を続け、医師と研究者の二足の草鞋(わらじ)を履く"physician scientist"をめざし、日々努力を続ける医師の姿を紹介する。

髙橋 康之 医師
埼玉医科大学総合医療センター
血液内科 助教
髙橋 康之(たかはし やすゆき)

1988年東京都生まれ。2013年埼玉医科大学医学部卒業。卒業と同時に、初期研修を受けながら社会人大学院生となって研究も行なう、同大の「研究マインド育成自由選択プログラム」を選択。2017年に学位を取得。同年同大学助教。日本内科学会認定内科医。

ある土曜日の午後、埼玉医科大学総合医療センターの9階病棟には、入院患者の話に熱心に耳を傾ける若手医師の姿があった。同センター血液内科助教の髙橋康之氏だ。患者は数カ月前に多発性骨髄腫という血液の病気を治すために、造血幹細胞移植という治療を受けている。移植後の患者の様子を見守るために、週末でも病院に来ることが多いという。髙橋氏は「治療経過が気になる患者さんがいるときは、土曜も日曜もない。実はこの1~2カ月はほぼ毎日、病院に来ている」と話す。しかしその表情には疲れなどは見られず、活き活きと仕事に取り組むエネルギーが感じられる。

小児科医になりたくて医師をめざす。入学後は『ER』を観ながら前を向く

髙橋氏が医師になろうと決めたのは小学生のころだった。父親は日本大学医学部附属板橋病院で小児科医を務めていた。しかし髙橋氏が2歳半のころに、慢性骨髄性白血病という病気で亡くなった。父親の仕事ぶりを直接見たわけではないが、小学校に上がってから「医師になる。小児科医になる」と思うようになったという。

生まれは東京だが、父親が他界してまもなく神奈川県に転居し、横須賀市で育った髙橋氏。県立横須賀高校に入学し医学部をめざしたが、現役での合格はならなかった。医学部受験を専門とする予備校に通い、翌年に埼玉医科大学に合格した。「首都圏の医学部ならどこでも、と考えていた。母親は神奈川県内の医学部への入学を希望していたが、浪人は1年までという約束だったので、埼玉医大に入学した」と話す。

入学後は「医学部進学」というそれまでの目標に替えて、良い医師をめざそうというモチベーションを保つことを心がけたという。「普通に勉強して進級し、研修病院を選び、卒業し、医師国家試験に合格して医師になる、という惰性に流されたような道筋は取りたくなかった」と髙橋氏は振り返る。「『ER』という米国のテレビドラマのDVDを、大学の図書館から次々に借りては毎晩のように観ていた。たかがドラマ。でも登場するいろいろな医師の考えや行動は、良い医師になりたいという気持ちを刺激し続けてくれた」(髙橋氏)。

大学5年生のときに小児科診療の現実に触れる。切らずにがんを治す血液内科に惹かれる

小児科医をめざしていた髙橋氏だが、転機は大学5年生のときにやってきた。ベッドサイドラーニング(臨床実習)で、小児科の病棟で入院している子どもたちの診療を担当したときだ。それまで髙橋氏が思い描いていた小児科医像、そして医学部で学んだ知識と現実の医療との違いを肌で感じたという。「小児科医が対応するのは子どもだけではない。むしろ親への対応が重要なことが分かった。特に大学病院に入院する子どもたちは重い病気や障害を抱えていて、親がその子どもを受け入れられずにいることがある。虐待が疑われることもある。そうしたすべてを背負い子どもを見守る仕事は、自分にはできないと思った」と髙橋氏は話す。

さまざまな診療科の臨床実習を経験する中で、髙橋氏は整形外科にも興味を持った。「高校時代、椎間板ヘルニアで数週間動けないときがあった。そのときに世話になったのが整形外科の医師だった。実際の整形外科の仕事をみると、長時間の手術など体力的に自分には難しいのではないかと思った」と髙橋氏。

自分には内科系が向いていると考えた髙橋氏は、日本人に増えている肺がんを診る呼吸器内科、糖尿病を診る内分泌内科、慢性腎臓病を診る腎臓内科など、生活習慣病を対象とする診療科について調べるようになった。そんなときに経験したのが、血液内科での実習だった。

2カ月間の血液内科の病棟実習で、血液の病気は生活習慣とは関係なく発病し、本人には責任がなく、しかも治らないケースが少なくないこと、しかし、肺がんや胃がんと違って薬で治すことができる病気もあることなどを知り、髙橋氏は魅力的な診療科だと感じた。また、父親が亡くなった慢性骨髄性白血病も、既にイマチニブという飲み薬だけで治ることも知り、「可能性の大きい、すごい分野だと思った」という。そして、血液内科教授の木崎昌弘氏の「診療するだけが医師の仕事ではない。患者さんに向き合いながら、まだ解決できない病気の研究に取り組み、その成果を臨床に活かすのが医師だ」という話を聞き、髙橋氏は血液内科医の道を選んだ。

卒業と同時に社会人大学院で研究。患者との密接な人間関係が魅力

しかし、現在の臨床研修制度では、卒業後すぐに血液内科の医師になれるわけではない。2年間の初期研修を埼玉医大病院で受けるか、地元の神奈川で受けるか、髙橋氏は悩んだ。そして木崎氏に相談したところ、「埼玉医大には『研究マインド育成自由選択プログラム』がある。これに応募してはどうか」という提案があった。

「研究マインド育成自由選択プログラム」は、初期研修を受けながら社会人大学院生となって研究も行なうという4年間のコースで、研修の空き時間に合わせて1年目は大学院の講義を受け、2年目は主に専門的な研究を行い、初期研修終了後は大学院生として2年間、研究中心の生活を送るというもの。すぐに髙橋氏はこのプログラムに応募した。

2013年からの初期研修では、血液内科をはじめ多くの診療科をローテーションした。小児科で血液疾患の患者を主治医と一緒に担当したこともあった。一方、大学院では初めての研究生活となり戸惑うことも多く、「昼は研修、夜は研究という日が続いた。初期研修は医師としての礎を築く2年間なので、大学院生との二足の草鞋を履くことに少し心配もあった」と髙橋氏。

初期研修の2年目からは血液内科での研修が多くなった。木崎氏からは「研究だけやっていると行き詰まることがある」とアドバイスされ、臨床にも積極的に取り組むようにした。研究のためにいろいろ勉強をすると、臨床現場で考えることも増え、「その結果、血液学、血液内科への興味がどんどん深まってきた」と髙橋氏は当時のことを話す。

こうした木崎氏をはじめ血液内科の先輩医師らによるサポートがあり、2015年からは血液内科医として勤務するかたわら研究を続け、2017年に学位を取得することができた。2017年からは助教として、臨床と研究、そして学生や大学院生の教育も行なうことになった。博士論文の研究テーマだった多発性骨髄腫にウエイトを置き、臨床では主治医として長期にわたる多発性骨髄腫の患者さんの管理・治療なども担当している。

「血液の病気の治療法が進歩した今でも、100%ハッピーになる患者さんは限られ、亡くなる患者さんは少なくない。だからこそ、研究に取り組む意欲が持続する。一方で、患者さんが少しでも良い人生を送ることができるように寄り添うのも血液内科医の大切な仕事。患者さんに信頼され、1対1で向き合い、治療方針などを一緒に考えていくという医師患者関係が、血液内科医の魅力だと思う」と髙橋氏は話す。臨床での経験を科学的に観察、分析し、考察できる医師、"physician scientist"をめざし、髙橋氏は病棟と研究室を今日も行き来する。

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