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ホスピタルレポート-現役医師に密着- 第7回 救命救急医(ドクターヘリ)

外傷診療の実績で日本有数の病院に勤務。ドクターヘリでの出動は700回以上

日本医科大学千葉北総病院 救命救急センター 助教
安松 比呂志 医師

事故現場や急病人のもとへドクターヘリで駆け付け、すぐに診療を開始する「空飛ぶ救命救急医」。消化器外科医から転進、この救命救急医を志した医師がいる。
ここに至る道のりは決して平坦ではなかった。しかし、1秒でも早く診療を始め、1人でも多くの命を救いたいとの思いで奮闘する医師の姿を紹介する。

安松 比呂志 医師
日本医科大学千葉北総病院
救命救急センター 助教
安松 比呂志 医師

1976年千葉県浦安市生まれ。2005年金沢大学医学部卒業。金沢城北病院を経て、2011年に日本医科大学千葉北総病院救命救急センターへ。日本救急医学会救急科専門医、日本外科学会外科専門医、日本内科学会内科認定医。

日本医科大学千葉北総病院の救命救急センターで電話が鳴る。しばらくすると、外のヘリポートで操縦士と整備士が慌ただしく動き始め、やがてドクターヘリのローター(羽根)が回り始める。救命救急センターから医師2名と看護師1名が駆け付け、乗り込むとすぐにドクターヘリは飛び立った。そして数十分後に帰着し、待ち受けるスタッフが患者を救命救急センターに運び込んでいった。

テレビドラマ「コード・ブルー」さながらのシーンだが、同センターでのドクターヘリの出動は年間約1200回。助教の安松比呂志氏は「ヘリは平均1日3〜4回は出動している」。救急車で運ばれる患者を待ち受けるのと変わらないように思えるが、安松氏は「ドクターヘリは現場に到着したときから、医師と看護師による治療が始まる。医師を現場に運ぶのがドクターヘリ。病院まで患者さんを運ぶ救急車とはこの点が違う」と話す。

ドクターヘリが現場に到着すると、まず患者の心臓が停止することを防ぐための対応が始まる。そしてヘリで救命センターに運ぶまでに容体が急変しないよう、先読みをした処置を行ってから患者をヘリに乗せる。ヘリからは患者の状態を救命センターに連絡、それを受けたセンターでは手術や輸血の準備を始め、到着後すぐに治療が行われる。いち早く現場に駆け付けて処置をし、病院搬送後は直ちに手術や集中治療などを行うことで、重症患者を救命する。これがドクターヘリの重要な役割なのである。

ドクターヘリは千葉県全域をカバーしている。日本医科大学千葉北総病院では、特に事故などによるけが(胸部、腹部、骨盤の外傷、手足の骨折など)への対応に力を入れており、「全国でも外傷の治療件数は群を抜いて多い。不慮の事故や急病になった働き盛りの人の命を数多く救っている」と安松氏は胸を張る。

有名私大へのエスカレーターを降りる。初期研修修了直前に病気で半年伏せる

救命救急センターの中核スタッフを務める安松氏だが、ここに至るまでには紆余曲折があった。 安松氏が医師を目指そうと意識したのは高校受験を控えた中学3年の夏だった。進学塾に通い、成績も上がったので、医学部進学実績のある私立中高一貫校の受験も考えたが「結局、青山学院高等部に入学。しばらくは医学部進学のことは忘れていた」と安松氏。

高校時代は、自宅近くのファミレスのアルバイトに明け暮れたが、高3になって「このまま大学に進んで、自分は一体何をするのかと自問したとき、医学部進学の夢を持っていたことを思い出した」と安松氏。しかし、バイト三昧の高校生活では準備不足は明らか。

自治医科大学と東京医科歯科大学を受験したもののあえなく不合格に。その後、安松氏は、自宅浪人生活を2年続けた。2浪して合格できなかったとき、父親から「金は出すから予備校に通って、来年は必ず大学に入れ」ときつく言われたという。そして河合塾池袋校に通い始めることになった。

「それまでの通信教育で分からなかったこと、特に苦手だった数学と物理については、考え方の基本を学ぶことができた。これで成績がぐんと伸びた」と安松氏。河合塾では授業前に講師の元に行き、その日の解答を書いたノートを添削してもらい、授業に臨むという毎日を送った。「講師にもチューターにも有名な存在だった」と安松氏は振り返る。そして、1998年に金沢大学医学部に入学した。

金沢大学では北溟寮(ほくめいりょう)に入寮し、学生生活、寮生活を満喫した安松氏。当時、心臓血管外科の第一人者とされる医師の手術を見学してその素晴らしさに感激、心臓血管外科の道を目指し、初期研修先として決まった横浜市の病院に挨拶まで行った。だが「単位を落として留年。あちこちに謝りに行った」と安松氏は苦笑する。

それでも翌年には「そんな"はぐれもの"を拾ってくれる優しい病院」(安松氏)の金沢城北病院での初期研修が始まった。ところが災いは続く。後期研修先が滋賀医科大学の心臓血管外科に決まり、その直前の2007年1月に健診を受けたところ、急性骨髄性白血病と診断されたのだ。

消化器外科から救命救急医へ。高度な救急医療を常に提供

幸いにも半年後の7月に完治し、城北病院の院長らの好意によって、後期研修も城北病院で継続することになった。診療科は心臓血管外科ではなく、一般消化器外科。当初はリハビリを兼ねていたこともあり、当直はなく、代わりに週の半分は日中の救急患者に対応した。

城北病院には6年勤務し、消化器外科医として手術の腕を磨いた。一方で、救急対応を経験する中で「きちんと救命救急医療を学びたい」と決意、様々なセミナーに参加して高名な救急医に相談し最終的に2011年から日本医科大学千葉北総病院に務めることを決めた。

安松氏は「アルバイトをしていたとき、医学部を目指して河合塾に通ったとき、大学の寮生活のとき、医学部で留年したとき、病気になったとき。いつも自分は周りの人に恵まれていた」と話す。少しずつ成長したいと考え続ける安松氏だからこそ、周囲から手が差し伸べられたのだろう。

そして今、安松氏は、救命救急センターの多くのスタッフとともに、救急医療の質をさらに高めるため、日々努力を重ねている。

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