ホスピタルレポート-現役医師に密着- 第1回 造血器腫瘍診療

薬剤師、歯科医師など多職種協働で基幹病院の造血器腫瘍診療を支える

国立病院機構四国がんセンター 血液腫瘍内科
医長 吉田 功 医師

白血病やリンパ腫などの造血器腫瘍の診療では、患者の急変に備えて数名の医師による体制が必要といわれる。しかし、長年にわたって基幹病院の血液腫瘍内科を実質的に一人で切り盛りしてきた医師がいる。
患者やスタッフとの強い信頼関係が原動力となっている。

医長 吉田 功 医師
国立病院機構四国がんセンター
血液腫瘍内科
医長 吉田 功 医師

1971年宮崎県延岡市生まれ。1995年宮崎医科大学卒業後、同大内科で研修。96年県立宮崎病院で研修。97年岡山大学第二内科入局、2001年南岡山医療センター勤務。05年岡山大学医学研究科卒業、四国がんセンター血液腫瘍内科に赴任。12年より同科医長。

朝10時、四国がんセンターの4階東病棟で、病棟回診が始まった。血液腫瘍内科医長の吉田功氏、同科医師の山本安紀氏、薬剤部の薬剤師2名、病棟看護師1名の計5名で、すべての患者に会い、診察や問診を行っていく。

「おはようございます」。吉田氏の明るい声のあいさつに、患者もあいさつを返す。「調子はどうですか」「胸の音を聴きますね」など、患者の顔色を見ながら、吉田氏はコミュニケーションを重ねていく。

「検査結果が出て、治療の方針を少し変えようと思います。ご家族にも一緒に説明したいのですが」「今日、息子が来ますから」「では、そのときにやりましょう」。

こうした会話を交わしながら、30分ほどで入院患者約25人の回診を終えると、医師2人と薬剤師2人は、廊下で立ち話を始めた。実は、ただの立ち話ではなく、回診での患者の様子、検査結果などをもとに、「副作用が少し強いようだから、治療を変えることも考えたい」「造血幹細胞移植は難しいかもしれない」など、ミニカンファレンスを行っているのである。

医師2人での診療を維持。多職種との協働がポイント

四国がんセンターに血液腫瘍内科が設置されたのは、同院が新病院に移転した2006年4月のこと。吉田氏は前年の2005年7月に国立病院機構南岡山医療センターから赴任した。診療科開設後に医師が1人増員となったが、その後は、主に吉田氏が診療を担ってきた。そして2014年4月から、山本氏が後期研修医として同科に加わった。

1〜2人体制が続く中、吉田氏は「診療に関わるすべてをマネジメントしてきた。造血幹細胞移植も行ってきた。医師1人が診療する患者数は、おそらく他の病院の血液内科より多いだろう」と話す。

少人数での診療の質を上げていくために吉田氏が実践してきたことの一つが、多職種との協働による診療体制だ。病棟や外来の看護師、薬剤師、病理科の医師、歯科医師、臨床検査技師など多くのスタッフが、血液腫瘍内科の診療に関わる仕組みを作り上げた。

協働による診療に不可欠なのが、スタッフ全員の情報共有である。たとえば、毎週金曜日の朝10時からの病棟カンファレンス。医師2人、看護師2人、薬剤師2人が参加するこのカンファレンスは、患者の様子を毎日よく観察することが、診療の質を上げるという吉田氏の考えに基づいている。

「週末から週明けにかけて、一人ひとりの患者さんに起り得る事態を予想し、容体の急な変化などのリスクを極力減らすことが目的の一つ。そのために、検査データなどはもちろん、それぞれの立場から患者さんについて観察・分析したことを報告して共有する。さらに、患者さんの状態をもとに下した医師の指示が病棟にきちんと伝わっているかを確認し、状態がよくない人でもできる限り治療の強度を下げずに継続するための方策を薬剤部と考える。血液腫瘍内科の診療を支え、スタッフを教育する重要な場」と吉田氏。

また、週1回行う「骨髄像カンファレンス」と「血液病理カンファレンス」も、検査データなどの確実性を検証し、診療の質を上げるために行われている。

骨髄像カンファレンスは、吉田氏、山本氏、病理科の医師1人、臨床検査技師1人の4人で行う。患者の病歴や検査データ、治療開始後であれば治療歴、現在の状態などを山本氏が報告した後、全員で顕微鏡をのぞき、議論を進めていく。

血液病理カンファレンスは、吉田氏、山本氏のほか病理科の3人の医師、臨床検査技師の計6人で行う。病理標本を検鏡しながら、病理科から病理診断名とその根拠についての説明がある。そしてX線CTやMRI、シンチグラフィなどの画像データも合わせて、全員が意見を交わしていく。

病棟回診やさまざまなカンファレンスを通じて、血液腫瘍内科の診療に関わるすべてのスタッフが、一人ひとりの患者の経過を共有していく。それが、少人数の医師による診療を支える基盤であり、原動力になっている。

人と接する仕事がしたい。全人的に診る内科医の道へ

同院に赴任して10年になる吉田氏だが、医学部を卒業した時点では「それほど興味を持つ分野ではなかった」と振り返る。

吉田氏は、中学に進学したころから「人間に興味があった。歴史や考古学が好きだったし、将来の仕事として人と接点のある仕事がしたいとも思っていた。それは漠然とだが、医者だろう」と考えるようになったという。

出身地の宮崎県立延岡高校に進学し、「高校1年生のときから、自分なりに相当の努力をして」(吉田氏)、地元の宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)に入学した。どの分野に進んでいくかを考えたとき、「手先は器用ではないので、外科ではなく内科」と考えていた吉田氏が学外の臨床実習で出会ったのが、当時、県立宮崎病院内科部長だった田村和夫氏(現・福岡大学病院病院長)である。すでに血液内科のエキスパートだった田村氏が「専門医である前に総合内科医としての視点を持ち、患者さんに接していることに感動した」と吉田氏は話す。

医学部を卒業後、吉田氏は宮崎医大の内科で1年間研修を受け、2年目に県立宮崎病院での研修を受けることになった。指導医は、臨床実習のときに出会った田村氏ではなかったが、患者をよく観察する田村氏の診療を間近で見て、吉田氏は改めて内科医としての視点の重要性を認識したという。

県立宮崎病院の研修中に、5人の患者が骨髄移植を受けたが、治療がうまくいく人といかない人がいた。なかでも「慢性骨髄性白血病の患者さんで、移植後にGVHD(移植片対宿主病:移植した細胞が患者の細胞を攻撃する合併症)で亡くなった方がいた。ほぼ1カ月間泊まり込みで治療に当たったが、その甲斐なく、ショックだった」と吉田氏。

移植医療の可能性と限界を感じた吉田氏は、県立宮崎病院での研修を終えた後、移植医療に積極的に取り組んでいる岡山大学第二内科に入局した。14カ月の病棟勤務の間に急性骨髄性白血病の患者に対する移植が行われたが、移植後にアスペルギルス(真菌の一種)感染症で亡くなった。ここでもまた、吉田氏は移植医療の希望と限界を感じたが、同時に「サポーティブケア」の重要性も痛感したという。

サポーティブケア(支持療法)とは、治療の副作用や感染症などの合併症を和らげ、治療の継続をめざす対応のこと。医師だけでなく、薬剤師、看護師など多職種のスタッフが関わるチーム医療が欠かせない。

泥臭く地味な仕事を続ける。患者からの感謝が励みに

岡山大第二内科勤務後、吉田氏は大学院に進学し、博士論文執筆に向けた研究を進める一方、2001年からは国立病院機構南岡山医療センターにも勤務するという生活を8年間続けた。学位論文を仕上げ、2005年7月に四国がんセンターに赴任した。そして、内科医として患者をよく観察するスタイルを貫きつつ、医師が少なくても診療の質を上げ、サポーティブケアを実践するために、多職種によるチーム医療の体制を組んでいった。

たとえば薬剤師には、入院当日から患者とのコミュニケーションを始めてもらう。「治療についての細かい説明は薬剤師の専門分野。薬剤師が患者さんの状態をまず把握し、我々と情報交換しながら、治療方針を確認する。治療が始まればその効果を評価してもらう」と吉田氏は説明する。

吉田氏がサポーティブケアで重視する感染症対策では、歯科医との協働が欠かせない。というのも、適切な口腔ケアによって肺炎が減少することが世界的に明らかになっているからだ。入院が決まった患者全員について、歯科医が入院当日に歯槽膿漏や口内炎などの感染源がないか、傷がないかなど口腔内を検査し、問題があればすぐに対応してもらう体制にしている。

吉田氏は「患者さんの病気の状態を知るのはもちろんだが、どんな人なのか、どんな人生を歩んできたのかを理解することで、その人に関心を持ち続けることができる。こうした関わりを持てば、外来でも病棟でも、一人ひとりについて全体の状態が常に頭に入るようになる。次の事態も予想できるので、容体の急変はほとんどない」と話す。

少人数の医師による診療体制は、こうした地道な積み重ねの上に成り立っているといえるだろう。「基本に忠実に、極めて泥臭く地味な仕事を続けることが、医師という職業だと思う。派手な技を持っているわけではないが、こうした努力の積み重ねは、患者さんからの感謝の言葉となって自分に返ってくる。ここに喜びを感じる」と話す吉田氏は、これからも日々、こつこつとスキルを磨き続けていきたいという。

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